積ん読読んどく

読まないと売られてしまう積ん読を読んでいく記録。

遅延評価学習法がしっくりくる

読書猿著『独学大全』を読んで2日目が経った。

技法2「可能の階梯」という箇所まで来て、立ち止まる。

これは、学びの出発点を見きわめるための方法であるという。

やり方はとてもシンプル。

 

① 学びたいテーマを選び、できること/知っていることを書き出す

② 書き出したことを、簡単なものから順に並べる。

③ 理解があいまいな地点を「踊り場」とし、その2段下を学ぶ出発点とする。

 

知っていることと知らないことの境界線を見つけて、そこからはじめるというわけ。

やり方はすぐに理解できた、しかし。

私は何を学ぶべきか?

テーマをいくつか書き出したものの、定まらない。

この本を有意義に読む上で最重要な「根っこ」があやふやなことに気づいた。

前途多難である。

 

しかし、同じ技法のページで紹介されている、別の2つの方法がしっくりきた。

1つ目は「パラシュート学習法」。これは最終目的に近いところから学習するものだという。最終目的が試験に合格するなら、過去問を解くことからはじめるというもの。

もう1つは「遅延評価学習法」。これはコンピュータ科学の用語から来ていて、あらかじめ学習して準備するのではなく、必要が生じてから必要な学習を行うというもの。

これまで私は、まさにこのような方法で学習に取り組んできたのではないか。

受験勉強とされるものは、基本パラシュート学習法で行った。社会に出てから、体系的に学習することなどほぼなく、必要が生じたタイミングで集中して必要な学習を行って乗り切ってきた。遅延評価学習法である。

自分たちの知的営為が知識を更新し、今後の知的営為がそれに直接に影響を受けることを、コンピュータの世界の住人は身をもって(しかも頻繁に)知る。そこでは、学ぶことをやめることは知識の更新から脱落すること、すなわち世界から拒絶されることにも等しい。

だからこそ、その都度生じるニーズに突き動かされて、必要な時必要なことをアプローチは支持される。

プログラミングの世界ほど知識更新が速くなくとも、どの知的領域も変化と更新から免れるものはない。学び終えることはあり得ない。

遅延評価学習法は、技法というよりむしろ、知識が我々に求める要請である。

(読書猿著『独学大全』P81)

 

まさにこれだ。

自分が何も学ばないで生きてきたわけではないことがわかって少しホッとする。

でも、この本を読むからにはテーマを持ちたい。この本を読み進めながら見つけていこうと思う。そんな読み方をする者が一人くらいいてもよいはずだ。続けよう。